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2015-10-31

闘病記 WAISーIII


リハビリの作業療法での粗探しの一環でWAIS(レイスと読むそうです)なる知能テストをやりました。本当はいいのかどうか知りませんが、作業療法の時間枠を使って、随分と時間を掛けて実施しました。テストも時間が掛かりましたが結果の計算もとても面倒なそうで、後のことを考えると頭が痛いという療法士さんの愚痴付きです。

で集計結果を見せてもらいましたが、動作性と処理速度が116で他はすべて130越え、総合指数で132とかいう結果でした。知能テストなら平均100、標準偏差が15が普通です。このテストはどういう平均、σになっているのか、気になって調べてみました。ネットで調Googleの検索窓に「WAIS」と入れたらいきなり「 ウェクスラー式成人知能検査」がサジェストされました。さすがのgoogle先生です。でもって調べてみたらやっぱり平均100の偏差15でしたね。指数130越えは「特に高い」のだそうですが、脳溢血後のリハビリで出たのはちょっと微妙ですね。

リハビリ的にはこの検査で失われた機能の有無をチェックするためのもののようで、平均以上(100以上)の指数が出ていれば問題無し、という判定になるようですね。厳密に脳溢血の影響を調べようというのであれば発症前後の指数を比較するのが筋なのでしょうが、通常は発病前の指数はわかりませんから、発症後の現状チェックとして使っているようです。

ただ、このテストでは、分野毎の数値が取れ、分野間に大きな(σ以上)の差があると障害の疑いがあるとかで。この点がリハビリ的に都合がいいのかも知れません。私の場合、注意行動と処理性能の指数が低くなっていましたから、その辺りが脳溢血の影響なのかもしれません。まあ、処理性能の低下については実感があります。でも注意力については元々低い方なのでこれは病気の所為かどうか。でも社会復帰するのは回りへの注意が健常時よりも(危険を避ける為に)必要になるのだそうです。この辺りはリハビリで訓練すべき項目になるのでしょう。

2015-10-30

闘病記 粗探し


「リハビリのはじめはまずは粗探し」※ああ帯広の方、ごめんなさい。

というわけで各リハビリともに粗探しからスタートしました。言語療法については数回チェックしただけで概ね問題無かろうということで打ち切られました。理学療法については、その時点でできること、できないこと、をテストしていきました。まあ、これには病院でどの様な介護体制が必要になるかの見極めでもあったようです。私の場合、歩行器でなら移動可能、ただし見守りが必要、という状況と判定されました。まあ、この時点では歩行器無しでは移動困難でしたから、こんなものでしょう。

因みにこの時に「転倒リスク」なるものをチェックされていたようです。なんでも56点満点で、高ければ低リスク、低ければ高リスクなんだそうで。私の場合、初期チェックでは44点で、歩行器必須の水準だったようです。でもってほぼ一ヶ月後、先日の再チェックでは50点で歩行器が不要になるレベルに達していたようです。

粗探しに一番時間が掛かったのが作業療法で、概ね一ヶ月掛かりました。まあ、チェックする事項がやたらと多いためでしょう。前半二週間で概要チェック、後半二週間で詳細チェックといった感じでした。入院時の状態としては視線の移動に視覚が追い付いていない状態で、横の紙を見ての計算とか内容の転記に困難を感じる水準でした。一応、復職を目指す私としては非常に宜しくない状況でした。ただこれも一ヶ月のリハビリで視線の移動については随分と耐えられるようになって来ましたし、一瞥で記憶できる量も随分と増えて来ました。

まあ、自主トレとしてのブログ記事書きもそこそこ効果が出ているようです。ただ発病前と比べると文章の入力速度がいくぶん低下したように思えます。

※知らない人は六花亭で「ひとつ鍋」を買いましょう。まあこちらを読めば一目瞭然かな。学生時代の友人に十勝出身者がいまして、やたらと熱く語られました。

2015-10-29

闘病記 禁酒禁煙


転院先の病院の説明にはカミさんも来ていました。カミさん、いつも出していた大辛の塩鮭(普通の塩鮭を家で塩漬けにし直すのですよ、茶漬け、おにぎりには最高!)が脳溢血の原因になったのかも、と気にしていて、脳溢血後の食事についての注意事項を聞きまくっていました。

担当のお医者さんが言うには、「絶対にこれはダメ」というような食べ物はありませんよと。ただ、血圧と体重を計りながら、それらが一定範囲に収まるように食事するようにしてください、ということでした。カミさん的にはこれで一安心したようです。私的にも一安心、入院してすぐに読んでいた記事がこれですからね。まあ、入院中、カロリー制限中の患者が見るには宜しくないシリーズです。

でもお医者さんの話には続きがあって、「でも酒とタバコはダメですよ」と続きました。今のところ、酒タバコで脳溢血発症のリスクがどれだけ上がるかはわかっていませんが、脳溢血既往の人に限っては、酒タバコは命懸けになります、ですと。

まあ、私の場合酒は無くても問題ありませんが(でも夏のビールは惜しい)、タバコはヘビースモーカー (ピース吸い) の身には結構辛い話です。とはいえさすがに入院中は吸えませんので、この時点で入院から一ヶ月、現在に至るなら二ヶ月、禁煙を通しているわけで、タバコを辞めるいい機会なのかも知れません(また値上りするようですしね)。

というわけで入院二ヶ月で禁煙も二ヶ月経っています。このままタバコを辞められるといいのですが、ちょっとばかり不安材料があるのですよ。よく、禁煙した人はタバコの臭いが臭くなったと聞きます。実はリハビリの歩行練習コースの裏手に、病院の喫煙所があるようでして、歩行練習しているとたまにタバコの臭いが漂って来るのですよね。どうも大方の人には気にならない程度の臭いらしいのですが、私にはこれがいい臭いに感じられるのです。これって、禁煙しなければいけない身にはマズイのではないでしょうか。退院するまでにはタバコが臭いと感じられることを祈っております。

2015-10-28

闘病記 目標


普通の病院では患者が退院していいかどうかの状態は基本医者側が判断するのですが、リハビリ専門病院の場合には、何を以ってリハビリの完了と看做すかの目標がは患者側の希望によって変わって来くるのだそうです。そりゃ家で療養を続けたい、という人と、元の仕事に復職したい、という人とでは目標とする水準が異なっていて当然でしょう。目標を決めるのは患者(家族)の希望、その水準に達したかどうかを判定するのが病院側の担当、という切り分けになるのだそうです。

見た感触ですが、若い人、現役で働いていた人はやはり復職を目指しているようです。一方、それなりのお年の、いかにも御隠居、という風情の人は自宅療養を目指している方が多いように見受けられます。ですが同じぐらいのお年寄りでも、女の方は家事一般ができるレベルを目指す方が多いようですね。お買い物の練習をされている方を良く見かけます。私の場合は、もちろん現役復帰が目標です。

現役復帰を目標とすると通勤という壁が聳え立って来ます。通勤に耐えられる運動脳力と体力を目指すのはなかなかに高い目標になります。とEvernoteでメモを書いていたら関連性の高い記事としてこんな記事がサジェストされました。まったく弱った体には東京の通勤事情はハードすぎです。

記事を見てみたら小田嶋さんのカラムでしたね。あれ、小田嶋さんも入院していたんだと過去記事を辿っていったら、こういうことがあったようです。足のリハビリに二ヶ月というのは標準なのでしょうかね。私の転院先でも治療期間の初期見積がやはり二ヶ月になっていました。こうして復職、社会復帰を目指してリハビリが始まりました。

2015-10-27

闘病記 転院


脳溢血で倒れて入院してから(シルバーウィークを挟んで)四週間でリハビリ専門の病院に転院しました。

最初に担ぎ込まれた病院はERを持っている、いわゆる高度医療病院なので次の緊急かつ重度の患者に備えて病室を空けて置きたい、という考えがあるようです。また病状が安定した回復期の患者は専門の病院で時間を掛けてリハビリを行なうのが望ましいというのもあるようです。という訳で発病後四週間経ったところでリハビリ専門の病院に転院しました。

転院してすぐに担当医から病状とリハビリ病院でやっていくことの説明がありました。ブログの脳溢血と麻痺ネタの半分はこの時の説明だったりします。

この先生の説明によればリハビリの最初の一歩は「粗探し」なのだそうです。まずは何処に不具合があるのかを見つけ出すのがリハビリのスタートだそうですね。肉体的な不具合はまあ、動かしてみればそこそこ判るのですが、いわるゆるADLと呼ばれる日常動作系になると、実際に色々とやってみないと不具合が現れて来ません。入院してしばらくはこのような粗探しに費やされるのだとか。まあ、言わんとするところは良く判ったのですが「粗探し」はどうよ、もう少しポジティブな言葉は無いものか、と思ったのですが、意外とピッタリ来る言葉がないものですね。結局、「粗探し」を使い続けることになりました。

さて、粗探しで不具合が見つかったら修復に入ります。脳溢血(脳出血)の場合、不具合があることが判ってもそれが神経の壊死によるものか麻痺によるものか、または単なる筋力低下かは判りませんので、基本的には治るものとして修復訓練していくのですね。まあ、神経が壊死していた場合でも、生命維持系のクリティカルなものでなければ、代用というか補完する神経や筋肉があるのだそうで、訓練すれば大抵は修復、代替が可能になるのだとか。とういうことで本格リハビリが始まったのでした。

2015-10-26

闘病記 自動販売機訓練


リハビリは、理学療法、作業療法、言語療法という3つの担当者の共同で進められていきます。私もですが、いわゆる「リハビリ」でイメージするのは理学療法でしょう。これは運動面の不具合を修復していくもので、手をひっぱたり脚をひっぱたりとするものです。言語療法は文字通り言葉に関する障害の修復です。私には出ませんでしたが、一部の言葉が発声できなくなるとか、言葉が失われるような障害への対処です。そして作業療法、これは日常の動作についての不具合を修復しようというもので、単なる運動機能よりも一段上の、高次の機能の再訓練を行なうものです。

私の場合、言語については特に問題が無い(だろう)とのことで、リハビリは作業療法、理学療法のセットでした。当初の作業療法で異様に印象に残ったものがあります。作業療法では、手を使っての色々な(まあ日常的な)動作を試して行くのですが、その中にコイン(ゲーム用のコインみたいなもの)をスロットに入れて行く訓練がありました。見た目は自動販売機にお金を入れる動作そのものです。私は勝手に自動販売機の練習、と呼んでいました。

私の場合、不具合は左半身にかたまっていたので、左手でやってみてください、と言われてやってみたら、コインをボロボロと半分がところ落してしまうのですね。これは個人的には結構ショックで、ああ、もう自動販売機使えないのかと落ち込みました。まあ良く考えて見れば、右手なら使えるし、コイン一枚で買える自販機だってあるわけですしね。この話、娘にはパスモが使える自動販売機だってあるでしょう、と力付けられましたね。

この後気付いてみると、病院の自動支払い機、小銭は受け皿に投入するタイプでした。手の動きの悪い人に配慮したものだとのことです。転院したリハビリ専門病院では、外来ロビーの自販機まで受け皿タイプのもので揃えてありました。流石です。

なお動きの悪かった左手ですが、流石にリハビリ専門病院に転院して一ヶ月経った今ではほぼ普通に使えるようになっています。

2015-10-25

闘病記 リハビリ開始


病状が安定した辺り、時期的には二週目ぐらいかな、シルバーウィークの前の週です、からリハビリが始まりました。後で調べたり聞いたりしたところによれば早くリハビリをはじめれば、それだけ復帰も早くなる、とかで早めのリハビリ開始が推奨されているようです。

私の場合には食事がお粥から通常食に切り替わった辺り、と記憶しています。最初は病棟内(病室のあるフロア)のリハビリコーナでのリハビリでした。まずは病室から車椅子で運ばれて、立ち上がる練習をしたのですが、左足がふらついて、パイプにしがみついてやっと立ち上がる始末でした。ベッドの上に座って(上体を起して)腕を横に伸ばせば、上体もそちらの方向に倒れていきます。脳溢血の影響か安静による筋力低下なのかはわかりませんが、上体の保持ができなくなっていました。

同じ頃に言語についてのリハビリも始まりました。こちらについては多少、言葉の不明瞭があったものの、これは顔の麻痺の影響だろうということで、言語分野のリハビリは早々に打ち切られたようです。リハビリ専門病院に転院してからも言語、日常系、運動系の三分野のチェックがありましたが、言語分野はチェックだけで後はスキップされたようです。

病棟のリハビリコーナーでなんとか掴まれば立てるようになったら、病院のリハビリ室(大きい病院だけあってリハビリ科がありました)に移っての本格リハビリ開始です。腕を動かすリハビリと足を動かすリハビリの二本立てで、初日は一時間のリハビリでしたが病み上がりの身にはなかなかヘビーで、リハビリの後、病室に戻って二時間寝込む有様でした。リハビリが始まってすぐにシルバーウィークでリハビリは暫しお休み(ベッドの上での手足の運動だけはやっていましたが)、シルバーウィークが明けたらした、もう急性期は過ぎたとの判断でリハビリ専門病院への転院(休みの間もリハビリ有り)を勧められました。

この時点で掴まり歩きはOK、歩行器での移動もOK、自立はなんとか可能(掴むものがあれば)、でも補助具無しでの歩行は数歩が限度、という状況でした。

まあ、上半身を起こすのに苦労していた当初からすれば日数の割にそこそこに進展があったと言えるでしょう。ある日のリハビリで、なんというか掴まり歩きのコツが掴めたようで、それから一気に掴まり歩きができるようになったのです。でも、その達成感がリハビリの指導員の方にも通じたのか、一人で勝手に動いちゃだめですよ、と釘を刺されました。

2015-10-24

闘病記 病院の食事


絶対安静時の栄養点滴から、お粥主食の病院食、ご飯主食の通常食と、順次普通のご飯に近づいていきました。どこかの国(そうメシマズで有名なあの国)では病院の食事のあまりのまずさが政治問題化したとかいうニュースがありましたが、そこは流石の日本、お味の方はそこそこの水準をキープしています。しかし量の方が何とも少ないのです。

動けるようになって廊下に張り出されているお食事メニューと見比べてみると、出てくるものは一部省かれています。気付いてみればカロリー制限食になっていたのでした。治療方針についての医者の説明の時にこの点聞いてみました。


  • 医:入院時の体重85kgは過重なのでこの機会に10kg目安で減量してみましょう(だからカロリー制限ね)。
  • 私:あの、点滴栄養の間に体重が減って現在75kgになっているのですが(カロリー制限いらんでしょう)
  • 医:ならその体重を維持するためにカロリー制限続けましょうね(ニッコリ)

ということで私の夢と希望は打ち砕かれてカロリー制限(1400㌔cal)が続くことになったのでした。入院中は、たとえリハビリがあるにしても、基本はベッドの上で安静、です。そういう意味では必要なカロリーも少なくていいのでしょうが、普段の食事量からすると感覚上は半分以下の食事です。特に晩ごはん直前ともなると、空腹で目が回りそうでした。

リハビリ専門病院に転院してもカロリー制限は続いています。ただリハビリでの運動量の関係でしょうか、現在は1500kcalのカロリー制限です。実感としては主食の御飯が一口分増えた感じです。でもこれで晩御飯前の空腹感はなくなりました。運動量増えているのでカロリー増やした方がいいかも、という話もありますが、転院以来四週間で、体重が1kg減っただけなので、カロリー的には足りているようです。

2015-10-23

闘病記 降圧剤について


脳溢血は高血圧によるものが多いそうで、基本的には降圧剤による血圧のコントロールが必要になります。入院から絶対安静期には降圧剤の点滴を受けていましたが、絶対安静が解除されて通常食になった頃には、点滴から経口薬に切り替えられました。一世代前、親の世代の降圧剤は効き過ぎた、効きが足りなかったとやたらとこまめに量を調節していたイメージがありますが、処方された降圧剤(二種類)は朝飲むだけで充分効果を発揮するものでした。

飲み出した後になってから病院附きの薬剤師さんが薬の説明に来ましたが、説明書を見ると、グレープフルーツが禁忌となっていました。直前の食事にグレープフルーツが出たところだったんですがね。以降食事にはグレープフルーツ厳禁というメモが付けられるようになりました。

さて、処方された降圧剤のひとつは「アムロピジン」というお薬。これはカルシウムチャンネル拮抗剤と呼ばれるお薬で、末梢血管を拡張して(収縮を阻害して)血圧を下げるというお薬。有り難いことに効き目が安定的で持続時間が約30時間、毎朝飲めば一日中効いている、という優れものです。これのおかげで細かな量の調整が不要になったようですね。

ただこのお薬、グレープフルーツが禁忌だそうです。グレープフルーツに含まれる成分がカルシウムチャンネル拮抗剤の効きを上げすぎてしまうのだとか。ちょっと調べてみたら グレープフルーツというかそのもとになっているブンタンの成分が問題で、ブンタン系列の柑橘類はどれもまずいようですね。ただ実際にまずくなるのはグレープフルーツジュースガブ飲みレベルの量を摂取した場合で、実際問題としては他の柑橘類で問題になることはまず無いようです。

ここでですね、宜しくない成分のひとつがベルガモチンとかいうモノでして、名前から想像できるようにベルガモンにも含まれています。でもってベルガモンとくれば紅茶、アールグレイの着香成分です。となるとアールグレイも飲めないのかとビビっていろいろと聞いて調べ回りました。まあ紅茶の着香程度なら問題なさそうです(というかお茶のカフェインの方が先に問題になるでしょう)。

処方されたもう一種類の降圧剤はオルメティックというもので、血圧を上げる体内物質の働きを阻害するタイプのもののようです。
まあ、こちらの薬についてはそこらの食べ物との禁忌はないようです。まあ、降圧剤自体の使用上の注意として血圧の下がり過ぎに注意、というのはありますが、病院で血圧を計りながら使う分には大丈夫なのでしょう。

2015-10-22

闘病記 脳溢血と麻痺


意識が戻ってしばらく、発作から約十日あたりから、絶対安静は解除されていきました。まずは束縛帯が緩められ、栄養点滴が終わって病人食(おかゆベース)に切り替わり、尿カテーテルも外されていきました。こうなって束縛がなくなってみると、食事の間、上半身を起こしていることができません。トイレには車椅子で運んでもらわないと行けません(まあベッドから車椅子、便座と車椅子の間の移動はかろうじて可能でした)。食事も箸ではできずにスプーンでないと食べられません(でも自力で食べられはしました)。どうやらこれが脳卒中による身体の各所の麻痺のようした。

さて以下の記載は、半分はあとで医者から聞いた話し(また半分は色々調べたネタ)になります。

脳溢血と書いてきましたが、Wikipedia的には脳出血にredirectされますね。こちらの方が今の用語なんでしょう。

脳出血では出血による血腫が神経を圧迫し、それによって(1)神経が壊死して機能不全を引き起こす、(2)神経が一時的に麻痺して機能不全を引き起こす、(3)療養のための安静が筋力低下等によって機能不全を引き起こす、のだそうです。

脳幹での出血では脳から延髄へと繋がる部分が圧迫を受けます。ここには生命維持のための神経も含まれていて、それらが機能不全になったならあの世にまっしぐらになるのだとか。出血によってどの神経がやられるかは全くの偶然だそうです。私の場合には幸い生命維持系統には影響が無かったようでした。

神経が壊死したケースは、これは回復不能だとか。でも大抵の機能は他の筋肉等で補償できるそうですね、まあ、訓練すれば、の話ですが。麻痺だけであれば血腫が吸収されて縮小すれば治る可能性があるそうです。ただし、これは下手すると年単位の時間がかかるそうです。筋力低下については再訓練すればまた動くようになります。ただ脳溢血の初期の段階、安静が解除された辺りでは、麻痺がどれによるものかは判別不能なんだとか。そういうわけで絶対安静が解除された辺りから即座に回復訓練、いわゆるリハビリが始まるのでした。

2015-10-21

闘病記 意識が戻ってみれば


病室で、ああ入院療養中なんだと理解できたのはERで意識を失なってから一週間後のことでした。意識を取り戻してみれば、右手には降圧剤の点滴、左手には栄養補給の点滴、下半身には導尿のカテーテルが差し込まれ、オムツで包まれてベッドに縛り付けられていました。

後で調べたところでは、降圧剤による血圧のコントロールと安静維持は脳溢血への標準的な措置なのですね。病室のベッドにいるだけで安静だと思っていたのですが、それにもレベルがあって上半身の起こせる角度まで制限される安静があったのでした。意識を取り戻した時点で私は三十度までに制限されていました。実感としてはベッドに縛り付けられた状態です。

私の記憶の中では、ベッドへの抑制は、夢の中で勝手にやられたもので、意識を取り戻すまでは何故そのままになっているのか理解できずに不思議に思っていたものです。あとでカミさんなんかから聞いたところでは相当に文句を付けて抵抗していたようです。

意識を取り戻したら最初にカミさんに頼んでスマホと充電器をもって来て貰い、溜まったメイルのチェックです(スマホ中毒の鏡だね)。でスマホを見てみると、左右の視界が重ならず(右目と左目で違う視野でものが見えるのです。気付いてみれば、顔の左半分は、歯医者で麻酔した時のように痺れたままです。どうやらその麻痺が目にも及んでいたようです。ですが、脳出血の麻痺がその程度で住んだのは不幸中の幸いというものでしょう。ちなみに口の中の麻痺は今でも残っています。視覚の異常は半分は近視遠視の度がズレた所為のようで、リハビリ中はメガネ無し(どうせ遠くは見ないし)で過ごして対処しています。退院したらメガネを作り直すことになります。

2015-10-20

闘病記 意識を取り戻すまで


さてERで意識を失ない、その後に、ああ自分は入院療養中だと理解できたのはほぼ一週間後のことでした。その間の出来事はほぼ私の記憶からは欠落しています。毎日医者が来ては、名前と生年月日、ここは何処と聞いて行ったのは覚えているのですが、ずっと何故聞かれているのかは判っていませんでした。途中病状に応じて病室を移っていたのですが、どこをどうしたのかも記憶にありません。この辺りは夢か現か判らない状態が続いていました。

この期間、カミさんと娘が毎日見舞いに来ていたのですが、家族との会話だけが現実に引き止めていてくれた気がします。ですが、あとでカミさんに聞いたところでは話しかけても全く訳の判らない、呂律の回らない、返答ばかりで、これはヨイヨイ確定かと気がきでなかったそうです。

2015-10-19

闘病記 はじまり


あれは8月末日の月曜日、月末の事務手続き面倒だな、と思いつつ朝起きて濃い紅茶を淹れて目覚めの一服を吸って(ショートピースだったりします)お出かけ前のトイレに入ったところ(こうやってみると脳卒中のフラグ立てまくり)猛烈な頭痛と吐き気におそわれました。

とりあえず家族には具合が悪いので午前中は休むといって寝込んだのですが、猛烈な吐き気がとまりません。娘が嘔吐用に洗面器を用意してくれたのですが、狙って吐くこともできません。さらに小便さえも、腰がたたずに漏らしだす始末です。ここに至って、これは只事では無いといってカミさんが救急車を呼び出しました。もう身動きできなくなっていたので、救急隊員に毛布で包んで持ち上げられる形で救急車に担ぎ込まれました。

ここでカミさんの大ヒット。ちょうど掛かりつけの脳外科があると伝えて、ちょっとばかし遠くでしたが、かかりつけの病院のERに担ぎ込まれました。こういう場合にはまずもってCTを撮るのですね。その結果、脳出血(脳幹)と判定されました。と、実は私の記憶はERに担ぎ込まれたあたりで途切れていて、それからしばらくは夢か妄想かよくわからない記憶しか残っていません。

2015-10-18

近況報告 入院中です

さて久しぶりの記事で近況報告をば。

腎臓癌手術から三年、いまだに経過観察中であるものの順調にすごしていたのですが、先日8月末に猛烈な頭痛と吐き気に襲われて身動きっできなくなり救急車で病院に担ぎ込まれました。診断によれば脳幹部の脳出血とのことでした。Wikipediaによれば非常に危険で予後も悪いものだそうですが、何とか急性期(一ヶ月)を脱し現在はリハビリの日々を過ごしております。

リハビリの一環としてPCへのキーボード入力の練習なんかもやっています。しかしリハビリ用のPCが随分と古いマシンでIMEが評判が悪かった頃の(今でもかな)MS-IMEなのです。ここしばらくはGoogleIMEを使っていたので操作的にかなり不満が高まっていました。そんなおりに娘が BTキーボード(なんと任天堂製)を持ってきてくれました。スマホのソフトキーボードでは狙ったところを押せずに入力困難なのですが、KBDがあれば入力も楽々です。これとスマホの組み合わせならGoogleIMEで入力も気分よくできるというものです。

まあ、脳出血で生き延びて、麻痺もごく軽くて、なおかつブログやっている人、となると結構珍しそうな気がします。そんなわけでリハビリの自主練習の一環として入院記なんぞをゆるりと作ってみようかと思っています。